米軍基地の本土への引き取り運動

5月14日の朝日新聞朝刊社会面に基地引き取り運動についての記事がでていた。

沖縄の基地「本土で引きとろう」、全国に陳情へ 「捨て石」やめて [沖縄・本土復帰50年]:朝日新聞デジタル

数年前に横田基地オスプレイが配備されたときに東京のこの団体が反対したことが出ていたような気がする。

特に東京について言うと、この団体の言っていることの不思議さは、特に東京の多摩地区などは沖縄の復帰後に返還された基地があることなどあまり意に介していないように見えることだ。むしろ、沖縄に基地を作る条件で多摩地区の基地が返還されたとでも思っているのだろうか?私はすくなくとも東京に引き取りたい、という人は、多摩地区でかつて基地の周りに住んでいた人たちと対話してほしい。どれだけのことがあったか、そして、今もなかなか難しさを抱えつつやっているのかぜひとも聞いたうえで、再度基地を引き取るなどということを言ってほしい。実は東京にも1970年代にはまだ基地があったことを話すと、都民以外の人には意外に思われることを感じている。

今も例えば今回の東京オリンピックでの多摩地区の位置づけなどを考えれば、東京といっても多摩地区は23区の下支え?的なところで、23区の人たちからはおそらく東京のうちに数えられていない場所なのだろう。これは政治家も同じで、都知事も他の県から来た人たちは多摩地区の問題について非常に冷酷であり特に今の都知事や前の作家の方などは全く考えてなかったと感じている。

政治家であればまだ劣化といっていれば済むが、一見”良心的”な市民運動家もこのような格差前提を許しているように見え、再び基地を引き取る、で23区の自分たちは多摩地区にあるからあまり関係ない、とこれは本土と沖縄と構造は同じだ。結局はほかの県でも県単位では引き取っても、それは基地に適した場所に引き取るので、人があまり済まない広い場所に引き取ることになって、栄えている場所とそうでない場所の格差が広がるだけの話だ。

特に東京で運動をしている人たちが自分たちの町に引き取ろうというのであればぜひともまずは今も基地がある、福生市や拝島市の人たちと対話してみてほしい。また、かつて基地があった立川や府中、調布などで周りに住んでいた人たちとも対話してみてほしい。そういった人たちを納得させられて初めて陳情できるようなことではないでしょうか。

ウクライナのなぞ

ウクライナ東部の状況についてよくわからないことがあります。

戦争前は東部2州というのは非常にロシア系の住民が多く、ロシアへの併合に抵抗感がないと思ってました。しかし、仮にロシア系の住民を避難させた後、今テレビで映されているような状況にしたとしても、非難した住民をまた、元の土地に戻して元の生活をさせることは不可能ではないでしょうか。

そうなるとロシアに対しては恨みの気持ちが起こってきて、住民は戦争の被害が少ないウクライナの違う場所に移住するかロシアにとどまるかしかないでしょう。

もしかすると、そのようにしてロシアはどんどんロシア系の住民を西側に移していくつもりなのか、、、しかしウクライナもそれなりの人口がいる国ですからそんなことには無理があるでしょう。そうなると、実際は東部の住民のことなどは口実でロシア(プーチン)がウクライナを属国化したいための戦争としか言いようがない感じです。

旧ソ連時代やソ連の前のウクライナについて、そもそもウクライナの東部に住んでるロシア系の人たちについてなども知らないとやはり今の状況はよくわからないのでしょう。勉強しないといけないですね。

過ぎてますが憲法記念日に思うこと

憲法記念日やはり今年の注目は9条について、ウクライナなどのように攻め込まれることがあったときどうなんだ的なところでしょうか。

わたしは二つくらい感じていることがあります。

ひとつはロシアのプーチン大統領はこれを攻撃とはいっていなくて自衛的な作戦といっていることです。日本ではロシアが”攻撃”したといってますが、そうではない。これは戦争を始める側にとっては共通したいいかたで、おそらく多くの戦争は今回のようであっても、そして、過去も攻撃する側の”自衛のため”に始まるのではないでしょうか。

なのでその点を踏まえないと憲法改正論議は非常に危険であると思います。

ふたつは、国民の盛り上がりがないと、戦争はできない。それは憲法を越えたところだということです。米国はやはりイランなどでの失敗で直接の出兵はできないのだと思います。また、まだベトナムのいたでもあるのでしょう。しかし、ロシアはここのところクリミア戦争などでも一応成功を収めて、戦争は勝っている間は国民が盛り上がって政権も支持を伸ばすので、まあそういったことでプーチン氏は戦争ができる。また、ウクライナも当然これまでの流れで戦争に至ることは想像できても、国民が盛り上がっている以上やめるわけにはいかない。やめた瞬間にもっと民族主義的な政治家が大統領の座につく、ということでしょう。日本も政治家の挑発的な言い方が最近目につきます。おそらく日本は平和憲法をもっていて、国民は長く戦争をしなかったので、その悲惨さはすでに忘れられようとしている。または意識的に教育などからものぞかれようとしているのだと思います。そうなれば、威勢のいい政治家のほうが支持を集めるのは当然で、結局自民党は維新に負けまいと威勢のいいことを言っていくしかない状況だと思います。ということでこれが続けばどこかで戦いをやるのでしょう。自衛のために。それがどのような結果になるのかは見えていますが、おそらくそうなると、今度は戦争に協力しない勢力のせいにして、もっと支配者に都合のよい国になるのではないでしょうか。

あるかたがたは平和憲法によって日本は戦争をしていないといいますが、そうではなくて、やはり第二次大戦の被害の大きさによって、戦争はしなくない、という気持ちが残っていることが大きいと思います。いくら平和憲法があったとしても国民が戦争を支持するようになれば、いくらでも戦争は起こると思います。だいたいが、世界のほとんどの国に平和憲法はありませんが、戦争をしている国もありません。したがって平和憲法の有無と戦争をしないことはそれほどの関係はないでしょう。戦争をやらないのは、ただしい教育であって憲法があればよいものではないと考えています。したがって、某政党のように、平和憲法を守るのを自分の党の宣伝に使うのではなく、平和を守ることは日本人にとって当然なので、そういったことを特定の政党を越えた価値として提示していくべきかと思います。某政党のような方々だけが平和を言うことで、平和自身が特定のイデオロギーになってしまうことを恐れています。平和というのも非常にひとによって意味が違っていて、あるひとは戦争さえなければ平和といい、ある人たちにとっては例えば基地が身近であれば、基地などもないほうが平和というでしょう。また、ひとによっては軍隊が国境を見えるように守ってくれる状態を平和と思うかもしれません。そのようなことを話しあって、日本にとっての平和を考えられるようになってほしいと思います。

立憲福山前幹事長襲撃されたニュースに思うこと

立憲民主党の福山氏が京都で暴行を受けたそうだ

「飯、食えへんやんけ」立民・福山哲郎前幹事長が街頭演説中に酔った男から暴行を受ける - 社会 : 日刊スポーツ

でもなんだか不思議な気がします。

普通もうかれこれ10年も自民党政権が続いているので、こういうことは自民党の政治家にいうのであればわかりますが、なんで野党の政治家に殴りかかるなろう、と。

ようは立憲民主党の主張が気に入らなかったということなのでしょうけど、飯食えへんやんけ、というところにどうしていくのかよくわからないところです。

もう一つ考えられるのは、某政党の支持者の方にとっては、某政党を支持することはやはり立憲に対立することで、立憲が邪魔しているので生活に役立つ法律が作られない、ということなんでしょうか。もしかすると関西のワイドショーなどみているとそんな感じなのかもしれません

今回の事件の背景は、事件というだけでなく、マスコミによって解明してほしいところです。

当然いまの状況への不満を自民党の政治家に暴力で伝えろといっていません。単純に今の政治への不満は自民党の政治家に言論やことばで伝えるべきとおもっていますが、演説しているところにヤジだけでつかまるとすると、すくなくともそういう場は封殺されているということなんでしょうか、、、

ロシアのウクライナ侵攻について

これについてはずっとよくわからないことがある。

高校生向けの地図帳やちょっと古い本などを見ると、突然ロシアが進行したわけではなく、ソ連が崩壊してウクライナとロシアが別の国になったときから、特に東部のロシア語圏のひとたちが住む地域の問題、また、ロシアの伝統的な統一志向などで決して安定した状態ではなかったということになっている。

政権もそういう意味ではロシアに近い政権とウクライナの独立性を強調する政治家で大きくスタンスは異なることになっている。

現在のゼレンスキー大統領はウクライナ民族主義を強く打ち出して当選したひとのようだ。そうなると当然ロシアとの緊張感は高まるが、そこでこれまでの米国であればトランプ氏は結構モンロー主義的なところがあったので、他国には手を出さす、ここまでウクライナに肩入れはしなかったのではないだろうか。もちろん侵攻が始まる前段階の話だが。プーチンとしては、はっきりロシアではなくても、やはり、米国,NATOウクライナが接近するのは耐えられなかったのではないだろうか。

そのあたり、なんだか日本の新聞を見ていると、プーチン大統領が突然ウクライナを侵攻したような感じになるが、そうではないのでは、という気がする。

もちろん、ロシアとウクライナの間での戦闘はあってはならないことなので、対話で脅したりすることと、現在ロシアがやっていることは大きく違うだろう。

東部の地域の独立は特にどうなるのかきになるところです。

5月2日の天声人語をよんで

ネクタイのことがかいてあった。

しかし、日本のネクタイ産業が衰退したのはクールビズだけではないだろう。

なんといっても日本の輸出品として絹はあったわけで、それを加工したネクタイも世界に輸出されていたのだと思う。統計をみていないが、残念ながらネクタイの輸出は当然円が高くなるについれて、価格競争力の点では厳しくなっただろう。今は円安と言っても1960年代とは違うので、この程度ではおそらくネクタイをばんばん輸出するところまではいかないのでは。1970年代ごろネクタイを作っていた会社はどうなっているのだろう。ネクタイと言えば八王子、八王子と言えば経済産業大臣の萩生田氏がなにか考えているのだろうか。選挙にも直結しそうな課題だし。しかし彼の目が地元にどのように向いているのかはよくわかりませんね。地元に利権をもたらさないという清潔な政治家なのでしょうか。

ウルトラセブン

本日は朝ウルトラセブン4K版の最終回であることに気が付きみました。

なんだか今やっていいのかちょっと疑問な感じもしましたが、、、

というか当時は冷戦がまだそんなに収まらないころで、結構緊張感もあった時代でしょう。それが今まさに起こっている現実ということでしょうか。

これまで何回か再放送を見てきましたが、わりとベトナム戦争後に見ていたので、当時の緊張感なく見てましたが、これをまだ沖縄も返還されていないような状況で作っていたのはすごいなあと改めて思わされました。

ウルトラセブン展開が早いしあまり説明的でないのがいいですね。どんどん進んでいくのもしかすると今だったら最後の場面でウルトラセブンがどうなったのかを言わないと収まらないのかもしれませんが、当時はそんなことは言わず、見た人に投げ出してます。それがいいと思いました。

前後しますが最後のほうでシューマンのピアノ協奏曲を使ったのもいいですね。子供たちはそんな高尚な音楽は知らなかったと思いますが、これまでの音楽と違う精神性のようなものは感じられたと思います。冬木透氏が作曲した曲もいいのですが、そこからガラッと変わったロマン派の音楽が緊張感を生み出して、クライマックスまでいくあたりが素晴らしい使い方だと思いました。この音楽がなかったら、なんでもう戦うなといわれてたのに戦って大丈夫なの?みたいな感じになりかねません。音楽によっては単にセブンの勇気を示すような感じになったかもしれませんが、この曲が付いたことで、勇気もあるけどもっと精神的なところで戦ったことが示されたし、終わりに向かうことも示されたと思うのです。まあこのあたりはいろいろと分析されている方もいらっしゃるので素人が口出しするところではないのですが、そんなことを思いました。

戦いの音楽は勇ましいのですが、そこで死ぬ人がいるということを示す音楽の使い方ですかね。